忠長が夜更けに帰ってきて、女房をなだめたので、しぶしぶ宿を貸した。 忠長は聖人から念仏の教えを聞き、「南無不可思議光如来」の九字の名号 を与えられ、門弟となり善順の法名をいただいた。その時の聖人の歌と忠長の返歌が伝えられていたが、火災で消失してしまった。天明七年(1787)に住職教秀が西本願寺に行き、法如宗主から消失した歌を書いてもらったという、しぶしぶ宿の歌が伝えられている。
浄土真宗本願寺派 浄福寺    住所:新潟県上越市柿崎区柿崎6654 お問い合わせ:☎025-536-2532 交通アクセス:車利用/北陸道柿崎I.C.より5分        電車利用/JR柿崎駅より徒歩7分         バス利用/高速バス停(柿崎)        より徒歩20分
 この時の名号を「川越の御名号」といい、「渋々宿絵伝」などの 宝物とともに浄福寺に伝えられている。
 鎌倉扇谷の武士井上忠長が信濃国(長野県)から柿崎に移住していた。 建暦元年(1211)の冬、親鸞聖人が流罪赦免の勅使を迎えるため 鳥屋野から国府に向かった。途中、吹雪の夜に忠長の家に一夜の宿を 求めた。忠長が留守で、女房は断ったため、聖人は軒下で笈を枕に休んだ。
 聖人が急ぎ国府へ帰る時、善順は柿崎に女房を残し、名号を背負い、 お供をして米山川を超えた。川岸に女房の姿を見た聖人は、善順に 女房のところに帰り、仏恩報謝の生活に励むように諭し、善順を残し国府に向かった。善順は名号を背負い再び米山川を渡った。